小野崎 悠介 氏|Pathfinder株式会社 CEO
東京生まれ。東京農工大学大学院卒業後、豊田通商に入社し、技術や事業開発分野でキャリアを積む。その後、複数のスタートアップを立ち上げ、自動運転や物流領域の経験を活かし、2020年にPathfinder株式会社を創業。片道レンタカー「カタレン」を展開し、移動の未来を創造するMaaS(Mobility as a Service)に挑戦している。
Pathfinder株式会社について
── 御社の事業内容を教えて下さい。
私たちPathfinderは、片道レンタカー「カタレン」を提供しています。
「カタレン」は、従来のレンタカーで可能だった“乗り捨て”を進化させたサービスです。例えば、東京から京都への旅行を想定した場合、往復を新幹線で移動すると、途中の観光地を素通りしてしまいがちです。一方で、車を使った往復では長距離運転の疲労が課題になりますよね。
「カタレン」を利用することで、例えば東京から京都へ行く途中に静岡で地元の名物ハンバーグを楽しんだり、伊勢神宮を訪れたりと、自由な旅程が組めます。そして、京都で観光を満喫した後は新幹線でリラックスしながら帰路につくことが可能です。これにより、旅の自由度が格段に向上し、観光地巡りの楽しさを最大限に引き出せると考えています。
── 片道レンタカーにはどのような課題がありますか?
現在、日本国内の「片道乗り捨て」の利用者はレンタカー利用者全体の約10%に留まっています。その主な理由は「高額さ」です。例えば、2日間のレンタルで通常1万円程度の費用が、東京から京都のような片道利用の場合には4万円ほどかかることもあります。この価格差が大きなハードルとなっています。
背景には日本の「車庫法」の規制があり、東京ナンバーの車両は東京に拠点を置くことが義務付けられています。そのため、他地域で乗り捨てられた車両を元の地域に戻す必要があり、輸送コストが非常に高額になります。この費用が利用者に転嫁されるため、結果として利用が広がりにくい構造となっています。
また、稼働率の低さも課題です。日本国内のレンタカー店舗は約1万件あり、それぞれが独自に在庫を管理していますが、車両移動のコストが高いため、需要が高い地域に車両を融通することが難しく、地域間で車両が固定化されているのが現状です。日本全体でレンタカーの平均稼働率は約50%とされ、業界全体として倍の在庫を抱えているような状況に陥っています。この流動性の低さが大きな課題です。
── これらの課題に対し、どのような取り組みをされていますか?
私たちは、移動コストの削減と稼働率の向上を目指しています。具体的には、レンタカー会社から「移動が必要な車両」や「元の拠点に戻す必要のある車両」を預かり、それを片道利用を希望するユーザーに貸し出す仕組みを導入しました。この仕組みにより、移動が必要な車両と片道利用ニーズを持つユーザーをマッチングさせ、非常に安価な料金で提供できるようになりました。
結果として、レンタカー会社、ユーザー、そして私たちの三者にとってWin-Win-Winの関係を実現できていると考えています。このモデルは特許を取得しており、私たち独自の仕組みとして展開しています。
小野崎さんのキャリア
── 当時はどんな子供(小学校〜高校)でしたか。
起業への思いが明確になったのは高校時代ですが、その背景を語るには、もっと幼少期の話から始めたほうがいいかもしれません。
私は東京の高円寺で生まれ育ち、公立の小学校に通っていました。今振り返ると、起業につながる片鱗が見えた出来事がいくつかあります。例えば、毎週行われていた「児童集会」では、委員としてどんな企画を立てればみんなが楽しんでくれるかを考え、周囲を巻き込んでイベントを成功させる体験をしました。また、「子どもまつり」の委員としても、コンセプト作りや人を巻き込む楽しさを学びました。こういった経験が、私にとっての原体験になっています。
その後、中高一貫の早稲田中学・高校に進学しました。通学の便利さも理由でしたが、中学時代は文化祭実行委員として活動し、高校では文化祭実行委員長を務めるなど、組織をまとめ、企画を推進する力を養いました。また、中学では剣道部と電子工作部を掛け持ちしていて、体育会系からオタク系まで幅広い友人関係を築いたことが大きな財産です。
── 剣道部と電子工作部という異なる活動をされていたのは面白いですね。電子工作を始めたきっかけについて教えてください。
きっかけは、小学校6年生のときに発売された「ポケモン」でした。ゲームに夢中になり、改造ツールや解析に興味を持つようになりました。例えば、特定のコードを入力してゲームの強さを変えたり、コピーガード信号を解析してコピーCDを作ったりしていました。この経験を通じて、電子回路やプログラミングに興味を持ち、アメリカから基盤を輸入してはんだ付けをするなど、さまざまなものを自分で作るようになりました。
中学1年生のときには親にパソコンを買ってもらい、後半には自作パソコンにも挑戦。秋葉原でパーツを集め、一つひとつ組み上げたのもこの頃です。
── 高校時代の経験で、特に印象深いことは何ですか?
一つの大きなきっかけは、杉並区が主催する「起業家養成塾」に参加したことです。ここでは慶應義塾大学SFCの学生や卒業生、インターネットスタートアップの黎明期を牽引する方々と交流し、企画立案や実証実験を行う中で、スタートアップの持つダイナミズムに魅了されました。
また、NHKの「真剣10代しゃべり場」に半年間レギュラー出演した経験も大きかったです。番組ではテーマに沿った討論が行われ、自分の価値観や行動原理について深く考える機会になりました。この経験を通じて、「生まれた理由は特にないかもしれないが、生きるからには爪痕を残したい」という思い、この経験から、「資本主義社会で大きな影響を与えるには政治ではなく会社を作ることが有効だ」と感じるようになりました。
── 高校中退を決断されたのにはどのような理由があったのでしょうか?
高校を中退したのは、起業家としての道を明確に意識したからです。ただし、衝動的なものではなく、「単位満了中退」という早稲田高校で前例のない形を選びました。「どうせ爪痕を残すならインパクトのあることをやりたい」と考え、資本主義社会で会社を作り、人々を巻き込むことが自分の進むべき道だと確信しました。この決断を経て、起業への道を歩み始めたのです。
── 大学進学やその後のキャリア選択について教えてください。
中退後は、予備校に通い、東海大学工学部機械工学科に進学しました。大学時代は授業に通いながら、渋谷にあるスタートアップ企業「ガイアックス」で働いていました。当初はアルバイトとして入社しましたが、わずか1週間で学生社員・契約社員としてフルタイム勤務を開始しました。
ガイアックスでの生活は多忙な日々を送りつつ、約2年半から3年間働きました。その間、会社は上場を果たし、私もストックオプションを受け取る機会に恵まれました。大学3年生の後半には、約1000万円の収益を得たものの、当時は金銭感覚が薄く、純粋に面白さを求めて働いていた感覚でした。
その後、研究への興味が強まり、大学3年の末にガイアックスを退社して研究活動に専念することにしました。大学4年生以降はバイトもせず、これまで得た資金を使い切る勢いで自由に過ごしました。
── 大学院ではどのような研究をされていたのですか?
大学院は東京農工大学へ進学し、デュアルディグリー形式で学び、主専攻は技術経営(MOT)でした。メーカーの経営戦略や計画を学ぶ一方で、ロボット系の研究室にも所属し、自律型のドローン技術について研究しました。
また、研究室の先生のご縁でアメリカのスタンフォード大学に短期留学し、現地でロボット関連のインターンシップも経験しました。この留学は非常に刺激的で、多様な視点から技術に触れる機会となりました。同時に、「自分が日本人としてどのような強みを活かすべきか」を深く考えるきっかけにもなりました。
── 海外での経験から、どのようにキャリアの方向性を決められたのでしょうか?
スタンフォードで出会ったエンジニアたちは、国籍を問わず非常に優れた才能を持つ人ばかりでした。その中で、日本人としてのアドバンテージを活かすべきだと感じました。具体的には、日本が誇る自動車産業やロボット分野に関わることで、自分の影響力をより大きく発揮できると考えました。
また、スタートアップやビジネスへの興味もあったため、研究職にとどまらず、より広い役割を担える道を目指しました。最終的には「技術を理解した上で経営を行うCEOになりたい」と考え、豊田通商に入社することを決断しました。
── 豊田通商ではどのような業務を担当されていたのですか?
入社後、名古屋の子会社に配属され、4年間にわたり海外の半導体を日本の自動車メーカーに提供する営業を担当しました。ただし、単なる商談業務ではなく、トヨタ規模のプロジェクトになると、提供する半導体やICはすべてカスタム製品です。そのため、プロジェクトマネージャーとして、共同開発プロジェクトを進行する形を取っていました。
具体的には、アメリカの大手半導体メーカーであるテキサス・インスツルメンツと協力し、セキュリティチップの仕様をフルスクラッチで設計するところから始めました。このチップは輸出規制も絡むセンシティブな製品で、ドイツの暗号化技術センター、マレーシアの生産拠点、中国やアメリカの最終組み立て工場と連携しながら、サプライチェーン全体を管理しました。このようなプロジェクトでは技術的な知識だけでなく、複雑な国際調整力が求められました。
── 高度なプロジェクトですね。希望されてその部署に配属されたのでしょうか?
はい、ハイテク分野への興味があったため、その方向で希望を出しました。ただし、具体的な担当業務までは選ぶことはできませんでした。当時(2011年)は自動運転が研究所レベルでようやく始まった時期で、最初は主に電子部品関連の業務を担当していました。
その後、親会社に戻り、新規事業を担当する部署に配属されました。そこでの業務は、トラックの隊列走行(東名高速で先頭車両が有人、後続車両が無人で連なる走行)や、全国で行われた自動運転の実証実験の取りまとめを行うものでした。また、これらの実証実験を可能にするための法整備にも関与しました。
具体的には、内閣府のプロジェクトに参加し、国交省や警察庁と連携しながら道路行政や法整備の議論を進めました。規制緩和の実現に向けた調整を行い、実証実験の基盤作りをサポートしました。
── CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)の立ち上げにも関わられたとのことですが、具体的にはどのような業務をされたのですか?
CVCの立ち上げに直接の責任はありませんでしたが、技術面でのサポートや、新たな自動運転関連技術の発掘・投資にも携わりました。新規事業の立ち上げ部署と連携しながら、スタートアップとの関係性を築き、自動運転分野の成長に貢献するための取り組みを進めていました。
このとき築いたスタートアップとの関係が、現在の事業にも大きく活かされています。自動運転関連技術の開発や投資活動を通じて得た経験は、現在のビジネス展開においても非常に重要な財産となっています。
起業について
── これまで4社を立ち上げられたとのことですが、それぞれどのような経緯や内容だったのか教えていただけますか?
最初の会社は、聴覚デバイスの会社です。これは豊田通商で新規事業を担当していた頃、副業としてコンサルタントの友人と共に立ち上げたものです。ノイズキャンセリング技術を活用した眼鏡型デバイスの開発を行いました。その後、友人が事業を主導する形となり、私は離れました。この経験を通じて、プロダクト開発と市場展開のプロセスを学びました。
2社目は、大学発のスタートアップです。あるテック系VCが主催するプログラムを通じ、大学の研究者とビジネスマンがマッチングする機会がありました。そこで東北大学の先生と共に、ロボットハンド技術を活用した事業を立ち上げました。このプロジェクトでは、国から約1億5000万円の助成を受け、弁当工場などで実証実験を行いました。ただし、研究者である先生と中長期の方針で合わない決定的な亀裂が出来て、私は事業から退きました。この経験から、「他人の技術を活用するだけではなく、自分のアイデアで挑戦したい」という考えが強まりました。
3社目が現在の「カタレン」に繋がるPathfinderです。自動運転の研究や商社時代の経験を活かし、移動に関する事業を立ち上げるために、逆算して計画を練りました。「カタレン」の立ち上げは、自動運転社会を見据えた長期的なビジョンの中での一つのステップと位置づけています。
4社目は、物流に関連するスタートアップ「F-ZERO」です。ゼロエミッションの物流サービスを日本で初めて実現することを目指しました。3社目のPathfinderは2020年1月末に設立され、設立直後にプロトタイプを完成させ、大手企業との契約も獲得しましたが、新型コロナウイルスの影響で事業環境が一変しました。このため、物流事業にピボットし、三重県の物流会社と合弁会社を設立することで事業を最適化しました。その合弁会社がF-ZEROです。
── 「F-ZERO」の名前にはどのような由来があるのですか?
名前は、任天堂のゲーム「F-ZERO」に由来しています。「ゼロエミッション」という目標を掲げたことと、先進的なイメージを伝えるために選びました。
── 設立当初から物流に注力されていたのですか?
設立当初は人流を軸にした事業を検討していましたが、コロナ禍の影響で物流分野から事業を開始することにしました。特に、動線設計や効率的な配置計画に注力しました。また、物流の知見が不足していたため、三重県の物流会社との合弁会社設立を通じて、知見を補完しながら事業を進めました。
Pathfinder株式会社 創業
── 創業後、特にコロナ禍でのご苦労や成功体験について伺えますか?
コロナ禍では苦労の連続でした。物流関連の実証実験(PoC)を進めている中で、「やるやる詐欺」のような状況が頻繁に起きました。こちらがコストと時間をかけて準備しても、最終的にプロジェクトが進まなかったり、期待値だけを持っていかれることが続きました。
さらに、資金も乏しく、出口が見えない状況に精神的にも追い詰められていました。初回の資金調達が決まるまでの間は、本当に鬱状態のような時期がありました。それでもなんとか持ちこたえ、前に進む努力を続けていました。
── 初回の資金調達について、どのように乗り越えたのでしょうか?
2022年10月にシードラウンドの資金調達を発表しましたが、その準備期間は本当に厳しかったです。直前までの数ヶ月間、自分たちで車を2台だけ用意して、大阪と東京を往復する最低限の実証実験を行っていました。ユーザー数は5,000〜6,000人まで増加していましたが、それ以上の拡大を図るための資金も人手もない状態でした。
さらに、資金調達の1週間前には人生初の痛風を発症しました。前日に草むしりをして虫に刺され、免疫が下がっていたことが原因でした。体調が最悪の中、周囲のサポートを受けながら資金調達を進めることができました。この時期に学んだのは、絶望的な状況でも前進する意思の重要性と、周囲からのサポートのありがたさです。また、限られたリソースで結果を出す工夫や執念を身につけたことは、その後の事業運営にも大きく役立っています。
── 創業して良かったと感じることはありますか?
一番良かったと感じるのは、自分が考えたコンセプトやアイデアが形になり、それが社会に影響を与えていると実感できることです。
私の原体験として、自動運転のロードマップを作成するプロジェクトに関わり、日本が他国に比べて実証実験の進みが遅いことに強い問題意識を抱きました。自動車産業は国のGDPの何割かを占める重要な分野ですが、世界での競争力を失いつつあるのではないかという危機感を持っていました。その中で、「誰がスタートアップでこの分野を牽引するのか?」「自分がやるべきではないか」と考え、創業を決断しました。
自分たちの取り組みが物流や自動運転の分野で新しい流れを作り出していると感じられる瞬間は、大きなやりがいにつながっています。もちろん、まだ道半ばではありますが、一歩一歩進んでいる実感があり、それがモチベーションになっています。社会に良い影響を与えられる仕事ができていることが、創業して本当に良かったと感じるポイントです。
── 創業して良かったと感じた瞬間はありますか?
創業して良かったと感じたのは、やはり優秀な仲間に出会えたことです。創業後すぐに優秀なメンバーが加わり、その後8ヶ月後にも素晴らしいメンバーが集まりました。また、最初に登録していた専門家の方々の中から、共に会社を成長させる正社員として迎えることができたのも非常に大きかったですね。
── 創業後、「カタレン」を展開する中で、どのような取り組みをされていますか?
創業後の取り組みの一つとして、自社車両の運用を行っています。現在、当社では約30台の自社車両を保有し、主に東京と大阪を結ぶピストン輸送で活用しています。この運用方法により、業界平均を大きく上回る1台あたりの収益を達成しており、これがビジネスモデルの強みの一つとなっています。
また、提携モデルの展開にも注力しています。提携先の大手レンタカー会社の車両は、お客さんが別の店舗で返却する「乗り捨て」を行うと、空の車をお金をかけて戻しています。それを我々に預けて頂く事で、我々のユーザーにお金を払って乗って貰い、コストから収益に転換するマッチングを実現しています。現在、2社との提携により業界シェア39%を確保しており、さらにN社との提携も進めています。特にN社との提携が実現すれば、業界全体の63%をカバーできる見込みです。このモデルについては特許を取得しており、私たち独自の仕組みとして展開しています。
さらに、地方空港との連携も重要な取り組みの一つです。例えば、成田空港ではターミナル前に専用駐車スペースを設け、無人での乗り捨てが可能なサービスを展開しています。これにより早朝便利用や大きな荷物を持った旅行者にとって利便性が大幅に向上し、料金も2,900円からという手頃な価格で提供しています。
── 現在、小野崎さんの業務内容を教えていただけますか?また、どのような割合で業務に取り組んでいるのかも伺いたいです。
現在、業務の約半分を採用活動に充てています。優秀な人材を確保するために、個人的なネットワークを活用した一本釣りや、採用プラットフォームの活用、さらには採用代行の方々と協力するなど、さまざまな手段を駆使しています。また、PR活動を通じて会社の認知度を高めることも採用活動を補強する重要な要素と考えています。
採用は複数のアプローチを試しながら、成果が出るまで粘り強く続けることが重要だと考えています。この活動は今後の事業成長を支える基盤として非常に重要な位置付けです。
それ以外の業務では、事業のスケールアップにも注力しています。最近、デッドの資金調達を完了したことで、資金面の目処が立ち、成長フェーズに入ったため、事業成長を加速させる段階にあります。
── 現在取締役を務められている坂見さんとの役割分担や、コミュニケーションについても教えていただけますか?
これまでは、坂見がマーケティングや事業開発を統括し、私はオペレーション、エンジニアリング、バックオフィスを担当する形で役割を分担していました。しかし、急成長フェーズに突入したことで、再びワントップ体制に戻しました。
現在、坂見にはライン管理から外れてもらい、アドバイザー的な役割を担ってもらっています。坂見には事業全体を広い視点で支えながら、全体的なバランスを取る役割をお願いしています。
── 坂見さんとはどのように出会われたのでしょうか?
創業後半年ほど経った頃、ビザスクのスポットを利用してレンタカー分野に関するインタビューを行っていました。その際に坂見と出会いました。
話してみると、坂見は非常に乗り気で「一緒にやろう」「何か手伝えることがあればぜひ」と言ってくれました。まずはアドバイザーとして協力してもらい、その後、坂見の経験や視点が事業に役立つと感じたことから、取締役として迎えることにしました。現在では事業の重要な役割を担ってもらっています。
── 会社としての魅力について改めて教えてください。
Pathfinderの魅力は、プロフェッショナル集団であることです。若手中心で根性論的に進むスタートアップとは異なり、各分野で経験豊富なメンバーが有機的に連携しながら効率的かつ現実的にプロジェクトを進めています。
また、新規性のあるサービスを市場に展開し、新しい市場を切り拓く「わくわく感」も魅力の一つです。自動車業界という伝統的な分野に挑みつつ、新しい風を吹き込むことで、Pathfinderならではの面白さを生み出しています。
さらに、官公庁や行政、大企業との関係性も当社の特徴です。公共性の高い知見を持つメンバーが事業に参加しており、その意見を反映することで大企業や行政からの信頼を得ています。
現在の組織について
── 現在の組織体制について伺いたいです。
現在の組織は、事業開発チーム、マーケティングチーム、オペレーションチーム、エンジニアリングチーム、R&D(特許管理)チームの5つのチームで構成されています。
特にオペレーションチームは、自社車両30台の管理、故障対応、駐車場の手配、24時間体制のカスタマーサポート対応など、多岐にわたる重要な業務を担っています。
現在、フルタイム社員は5名の少数精鋭ですが、業務委託メンバーが補完する形で運営しています。業務委託は特定分野のプロフェッショナルが集まっており、即戦力として活躍しています。しかし、フルタイム社員が少ないことで全体のハンドリング負荷が高くなりがちで、これを解決するためフルタイム社員の採用を強化しています。
── 組織の良いところと、改善するとさらに良くなる課題点について教えてください。
良いところは、業務委託メンバーのスキルや経験が事前に分かっているため、期待値を明確にした上で業務を進められる点です。また、柔軟な組織体制の変更が可能で、スタートアップ特有の軽快な運営ができています。
課題としては、業務委託が多いことでコミュニケーションコストがかかり、レスポンスの遅れや細切れタスクが発生しやすい点があります。さらに、大規模なプロジェクトやクリティカルな業務を進める際には、業務委託に依存しすぎることの難しさもあります。
これらの課題を解決するため、フルタイム社員の採用を増やし、組織全体の一体感を高めることに注力しています。同時に、業務委託メンバーにも長期的に協力してもらえる仕組みを模索し、柔軟性と安定性の両立を図る計画です。
今後の目標
── 「カタレン」の今後の展開について教えてください。
「カタレン」のサービスは現在、東名阪エリアを中心に展開していますが、今後は北海道や九州への拡大を計画しています。特に北海道では空港間移動が主流となり、旅行者の利便性向上に大きな可能性があります。また、50km程度の中短距離移動市場にも参入予定で、この分野の規模は約2,000億円と見込まれています。これにより、新たな市場を開拓し、サービスの成長を目指します。
── 目標と採用について教えてください。
私たちの最終的な目標は、MaaS(Mobility as a Service)の実現です。さまざまな交通手段を一括で検索、予約、決済できる仕組みを構築し、移動手段のシームレスな連携を実現することを目指しています。Googleマップや鉄道会社との連携を進め、利用者にとって「カタレン」が自然と選ばれるエコシステムを構築することが中長期的な目標です。
この目標達成には、優秀な人材の確保が不可欠です。特に、新しいサービスエリアの展開や提携モデルの強化を進めるため、地域特性を理解し、移動の未来を共に描ける人材を求めています。現在、特に優先度が高いのは リアル含むカスタマーサクセス担当者 と マーケティング担当者 です。
カスタマーサクセス担当者は、自社車両の管理や運用効率の向上を担い、事業の根幹を支える重要な役割を果たします。一方、マーケティング担当者は、「カタレン」の認知度向上と利用者拡大を通じて、事業成長を後押しする重要なポジションです。
私たちは、自ら道を切り拓く主体性を持ち、チームで新しい価値を生み出せる方と働きたいと考えています。これは、Pathfinderという社名に込めた「未知の領域を切り開く」という精神そのものです。個々の力を最大限に発揮しながら、一緒に未来の移動インフラを作り上げていきたいと思います。
── 目標達成に向けて解決すべき課題はありますか?
課題の一つは、レンタカー会社ごとに異なる在庫情報や管理システムの標準化です。スムーズな検索やマッチングが可能な仕組みを整える必要があります。また、利用者に最適な選択肢を提案するアルゴリズムの精度向上も重要です。これらの課題をクリアし、「カタレン」を中核としたMaaSの世界を現実のものにしていきたいと考えています。