挑戦と成長を楽しむ組織づくりへ──エンジニアリングマネージャーが描く未来のチームビジョン

瀬賀 勇也氏|株式会社SORICH 執行役員 エンジニアリングマネージャー

不動産の賃貸営業を3年間経験した後、エンジニアを目指してキャリアチェンジ。Webシステム開発会社でJavaやPHPなどのオープン系言語によるシステム開発に従事。開発部主任として管理業務も行った。要件定義のほか、実装業務、オンプレサーバー構築・運用、5Gネットワークの研究開発など幅広い立場や技術を経験。2017年株式会社SORICHに入社。バックエンド開発とAWS構築業務を主軸とし、プレイングマネージャーとしてチーム開発を先導。2021年執行役員に就任。便利で新しい言語やフレームワーク、ツールは積極的に採用しながら日々効率的なシステム開発を模索中。

株式会社SORICHについて

弊社は主にWebシステムの開発・保守を中心に、お客様のニーズに応じたBtoBやBtoC向けのシステムを提供しています。強みは「ワンストップサービス」にあり、お客様がシステムの構想を持ち始めた段階から、要件定義、設計、開発、リリース、そして保守まで、すべての工程を弊社で一貫して担当できることです。また、アプリケーションの公開に必要なインフラの設置や設定も含めて、プロジェクト全体を社内の専任メンバーがサポートする体制を整えています。

さらに、長年培ってきたSalesforce導入開発支援を本格事業化するべく、2023年から新たにSalesforce事業部を立ち上げ、Salesforceのコンサルティングパートナーとして構築や運用も行っています。Salesforce社とのパートナーシップを築きながら、幅広いニーズ・プロダクトに対応できる体制を整えているところです。

瀬賀さんのキャリア

そうですね、正直なところ、小学校から高校にかけては勉強にはあまり熱心ではありませんでした。小さい頃から母に「スポーツをやりなさい」と勧められていたこともあり、マラソン、体操、日本拳法、野球、バスケなど、さまざまなスポーツに取り組んでいました。また、父が転勤族だったこともあって、転校を2度ほど経験しており、そのたびに新しいスポーツに挑戦する感じでしたね。

中学ではバスケ一筋でしたが、高校に入ってから怪我をきっかけにスポーツから離れることになりました。その後はアルバイトに励んだり、ダーツやオンラインゲームに夢中になったりしていました。ダーツについては今でも趣味として続けていて、プロライセンスも取得しました。学生時代から今に至るまで、ダーツが唯一継続している活動といえるかもしれませんね。

大学には進学したものの、正直なところ、当時の私はあまり勉強に熱心ではありませんでした。進学先も「無理なく通える場所」を基準に選んだ部分があり、大学での学びに対して「本当に将来に役立つのか?」と疑問を感じることも多かったです。

色々あり大学2年の夏に中退することにしました。その後、急いで就職先を探す中で「すぐに働ける場所」として営業職を選び、特に不動産営業に興味を持ちました。経験やスキルがなかった分、「営業なら成果を出せばなんとかなるかもしれない」という思いで、不動産の営業職に就いたのが社会人としての第一歩となりました。

1社目の不動産会社では、社会人としての基本をしっかりと学びました。社会人としてのマナーやルール、対人対応の基礎をこの時に身につけました。ただ、不動産営業は毎月売上がリセットされるため、常に新たな契約を取る必要があり、大きなプレッシャーが伴いました。さらに、お客様対応では契約後にトラブルが生じたり、ご不満への対応が求められる場面も多く、精神的にも体力的にも限界を感じるようになりました。

転職を考え始めた時、ふと「エンジニア」という道を思い出しました。実は中学生の頃、オンラインゲームをきっかけに仲間とのコミュニティを象徴するホームページを作った経験があり、その際にHTMLやCSS、Flashを扱う楽しさに夢中になった記憶が残っていました。「もしこれを仕事にできたら面白いかもしれない」と思い、独学でエンジニアに必要な知識を学び始めました。そして3年ほど不動産での経験を積んだ頃、「挑戦してみよう」とエンジニア職の募集がある企業に応募しました。

インサイトへの入社を決めたのは、面接での社長の氏家さんとの出会いが大きかったです。未経験での転職活動は難しく、どの会社でも面接では深い質問が多かったのですが、インサイトでは「ざっくばらんに話しましょう」と言われ、肩の力を抜いて話せたのが印象的でした。氏家さんは知識が豊富でユーモアもあり、落ち着いた雰囲気が感じられ、「この人についていきたい」と思いました。

当時のインサイトは社員が5〜6人の規模で、ちょうど教育事業に力を入れようとしているタイミングでした。私が未経験での採用1人目という特別な役割にも期待が膨らみ、成長を共にできるチャンスがあると感じ、事業拡大の勢いがある会社に身を置けることが非常に魅力的でしたね。

入社当初はSES(システムエンジニアリングサービス)での常駐が多く、現場で実務を通してスキルを身につける形でした。その後、受託案件に戻り、リーダーやマネージャーとしてプロジェクトを任されるようになりました。

そうですね、今のCTOである長嶋さんとの出会いが特に印象に残っています。エンジニアとしての考え方や責任感、仕事に対する姿勢など、多くを学ばせていただきました。長嶋さんは決して手取り足取り教えるわけではなく、むしろ突き放しつつも、こちらからの質問には必ず答えてくれるというスタンスでした。土日に出社して「教えてください」とお願いしても、渋々ながら対応してくれたり、悩んだ時には飲みに連れて行ってくれたりと、非常に面倒見の良い方でしたね。

今、私もエンジニアとして10年が経ち、後輩を教育する場面で気がつくと長嶋さんと同じようなことを自分がしていると感じます。彼から学んだ姿勢や価値観が、今も私の中に根付いていて、それを後輩に伝えていけるのがとても嬉しいですね。

インサイトは成長期にあり、やりがいを感じながら楽しく働いていましたが、環境の変化やキャリアを考えたとき、新たな挑戦をしてみたい気持ちが高まり、2017年に退職を決意しました。当時は結婚を控えていたことや、趣味のダーツを再開したこともあり、自分の生活環境が大きく変わっていた時期でした。また、インサイトではマネジメント職への道も提示されていましたが、もう少し技術を磨きたい気持ちが強く、外の世界を見てみることにしました。

株式会社SORICH 入社後

インサイト時代と同様に、Webシステムの開発エンジニアとして、主に受託開発を担当し、Javaでの開発や保守業務など、幅広く対応していました。

良かったこととしては、残業が少なくなり、自分の時間がしっかり作れるようになった点ですね。インサイト時代は私自身が未熟なのにも関わらず裁量の大きい責任のある仕事を任せていただいていたこともあり、帰れない日も多かったため、SORICHに入社してからは時間の自由度が増し、生活の質が上がったと感じました。一方で苦労した点としては、SORICHでは新しい技術に積極的にチャレンジする社風があり、触れる技術が次々と新しいものでした。当初は「わからない、わからない」の連続で、キャッチアップに苦労しました。

もともと器用なほうだと思っているので、少しずつ勉強しながらキャッチアップを続けました。また、当時一緒に働いていたフリーランスの方にも助けていただきました。ちょうどインサイト時代の長嶋さんのような存在で、知識が豊富で頼りになる方がいて、壁にぶつかるたびに相談し、サポートを受けることができました。

執行役員という役職が新たに設けられたのが2021年の3月頃で、その少し前の年末、忘年会のカラオケの際に社長から「役職に就いてみないか」という話をいただきました。その時点で役員が退職する話も進んでおり、会社として新しい組織体制を作っていく必要があったのだと思います。

もともと私は少し文句を言うタイプで、「あの人はどうだ」や「こうした方がいい」といった意見を周囲に言うことが多かったのですが、役職に就いたことで「自分がやらなければならない立場」になり、自然と視座が高くなりました。それに伴って、物事をより深く考えるようになり、周りの見え方や努力の大切さも意識するようになりました。

特に、社長の知り合いから「役職に就くことで成長できるのでは」と言われたことがきっかけで、自分の視野が広がり、成長を実感しています。よく「役職が人を成長させる」と言われますが、私自身、その例として経験できたことに感謝しています。

現在の業務の約5割は開発に充てており、エンジニアとして手を動かしながらプロジェクトに貢献しています。残りの約4割は、プロジェクト管理やチームのマネジメント、中長期的な組織目標の設定に費やしており、これらの業務がチーム全体や事業の成長につながる重要な役割だと実感しています。

採用に関しては、広告を出しているときは全体の1~2割程度を割き、面接や応募者対応に参加しています。現在は広告掲載を控えていますが、記事を通じた採用活動は進んでおり、コーポレートサイト経由での応募が増えています。特に、フルリモートの働き方に関する記事が反響を呼んでおり、社内の具体的な働き方や雰囲気に興味を持って応募される方が多いと感じています。今後もフルリモート環境や働きやすさについて、多くの方に知っていただけるよう努めたいと思っています。

弊社のシステム開発事業の魅力としてまず挙げられるのは、「市場の変化に素早く対応できる環境」です。開発言語やツールのトレンドをいち早く取り入れ、新しい技術に挑戦できる体制が整っており、実際に現場のエンジニアからの要望を反映して、BacklogからGitHubへの移行やAIの導入を検討するなど、柔軟な対応を進めてきました。市場の動向に応じて開発環境を進化させることで、コストの最適化や先進技術の活用が実現できています。

また、お客様には柔軟な契約形態を提供しており、受託契約だけでなく、準委任契約を通じてエンジニアをチームの一員として派遣し、開発支援を行うことも可能です。さらに、保守や小規模な作業も手がけており、お客様の多様なニーズに応じた最適なサポートを提供しています。

以前は既存のお客様が中心でしたが、近年では紹介や口コミを通じて新規のお問い合わせや受注も増加しています。この増加は、お客様満足度の高さが反映されていると感じており、エンジニアがシステムだけでなくお客様視点に立って仕事を進めていることが高品質なサービス提供につながっていると自負しています。

技術選定の際には、お客様が求める機能や最新の開発動向を踏まえて、こちらから提案を行うことが多くあります。最近では、お客様側もシステムに詳しい方が増え、「AWSを使いたい」「Javaよりも別の選択肢で」という具体的なご要望をいただくケースも増えており、スムーズに提案や決定が進められています。

現在の開発組織について

弊社は全体で50名ほどです。組織構成においては、枠にとらわれず柔軟な構造を重視しています。具体的には、私を含むマネジメントチームが5名、事務スタッフが2名、クリエイティブ事業部(デザインやマークアップを担当)が7名、Salesforce事業部が6名、そしてシステム開発部が30名で構成されています。

システム開発部の30名は、特定の部署枠を設けず、各マネジメントメンバーが直接プロジェクトやメンバーを管理しています。この柔軟な体制により、専門分野の拡大に応じた組織の見直しがスムーズであり、今後の成長を見据えて検討を進めています。

メタライフの画像

フルリモート環境では、部下の表情や様子を直接把握するのが難しいため、教育が課題となっています。そこで、定期的な小規模の勉強会や情報交換の場を設け、社員同士が並走しながら学べる環境を提供しています。また、新入社員や経験の浅い方を対象とした研修カリキュラムも整備しました。これは社員の提案から生まれたプロジェクトで、社員自身がカリキュラムを作成し、運用しています。こうした自発的な取り組みが、フルリモート環境での教育をより充実させるための大きな助けとなっています。

弊社の開発組織は「自由」であることが大きな特徴です。新しい開発言語やツールを試してみたいという社員の声があれば、それを実際に取り入れる柔軟性があり、個人が自発的に成長や工夫を楽しめる環境が整っています。しかし、この「自由」がある分、コミュニケーションや自己研鑽を「サボってしまう」リスクもあります。

今後、この自由を活かしつつ組織全体の成長を促すためには、社員一人ひとりの主体性をどのように刺激し続けるかが鍵だと考えています。個々が積極的に関わり合い、協力し合えるような仕組みを工夫しながら、より良い組織を目指して改善を進めていきたいと思っています。

今後の目標

私の目標の大前提は、「楽しく稼ぐ」ことです。これまでの経験から、楽して稼げるほど甘くないと感じており、つらいことでも楽しむ工夫を見つけながら取り組むことが重要だと考えています。この「楽しむ工夫」を通じて、短期・中期的には、自分だけでなくチーム全体が主体的に売上を上げられる組織づくりを目指しています。

そのため、フルリモート環境や自主性を活かせる仕組みづくりを進め、メンバー全員が創意工夫しながら取り組むチーム体制を強化していきたいと思っています。

フルリモート環境であるため、サポート体制は整えているものの、他人に頼りすぎず、自分で進めていく力が求められます。その中でも、仲間と協力し合い、助け合いながら一つのものを作り上げていきたいという方と一緒に働きたいです。また、自己成長に対する意欲が強く、主体性を持って行動できる方は大歓迎です。

さらに、「夢を持っている方」と働きたいですね。夢や目標があると、日々の仕事にも熱意を持って取り組む原動力になると思います。私自身も「50歳で働かない生活をする」という夢があり、それが毎日のモチベーションになっています。ですから、何かしらの夢を持ち、その夢を共有しながら一緒に目標に向かって進んでいける方と働きたいと思います。