2度目のPMFへ。CTOが語る自社情報を活かした新しい体験への取り組み

渡邊 直登|株式会社マイベスト 取締役CTO

大学卒業後、Web系SIerで多数のWebサービスの立ち上げ・運用などを経験。2013年にリブセンスに入社しHR系サービスの開発・運用を行い、医療系サービスの立ち上げに参画。2017年にマイベストに中途入社後はプロダクト・組織の開発両方に携わる。

株式会社マイベストについて

弊社は、商品購入やサービスの登録など、あらゆる選択行動をサポートするために、同じカテゴリの商品をたくさん購入して自社で検証・比較し、その情報をデータベース化しています。その上で、ユーザーの多様な選択ニーズに合わせて情報提供を行うサービスを展開しています。

それが「マイベスト」というサービスです。選ぶという領域の課題を解決しようとしています。具体的には、商品を探す際に必要な選択軸を提供し、それを利用した各商品の相対比較によって、どの商品が自分のニーズに合っているかが分かる体験を提供しています。

弊社としては、このサービスを通じて、インターネットを使った選択体験がもっと楽しく簡単にできるような世界を実現したいと考えています。

渡邊さんのキャリア

そうですね、小学校時代からずっと運動、特に陸上競技をやっていました。部活動は体育会系だったのですが、趣味はインドアなものが多く同級生たちとゲームをしたりしていました。。PCに初めて触れたのは、小学校3年生か4年生の頃だったと思います。音楽の授業でWindows 3.1を使って作曲する機会があり、それが最初の接点でした。このときはまだ当然プログラミングには出会っておらず、気軽に曲をアレンジできることが面白いと感じていた気がします。そこから徐々にプログラミングやインターネットに興味を持ち始めて、自宅でもPCに触るようになりました。

そうですね、自分が初めて買ってもらったPCはWindows95で、それが中学生の頃です。 当時、徐々に普及し始めていたインターネットを楽しんだり、プログラミングをし始めました。ただ、部活動も忙しかったので、そこまで熱心にやっていたわけではありません。

そうですね、高校卒業までずっと陸上をやっていました。種目は短距離で、主に100m・200m・400mをやっていました。

運動が好きで小学生の頃から陸上競技を続けていたのですが、それを仕事にするイメージはありませんでした。。その一方で、PCに初めて触れたときからなぜかエンジニアになりたいという想いがあり、小学生の高学年になる頃には漠然とエンジニアを目指しそういった勉強ができる大学に進学したいと思っていて、そのままその大学に入学しています。

進学した大学は、授業でもガッツリプログラミングできるようなところで、授業でもプライベートでもコードを書いていたと思います。当時は技術的な関心が広く、特定の言語を触るというよりは広く浅く学んでいました。CとかJavaとかPerlを書いていて最後の方に少しPHPも書いていました。

エンジニアになりたいと思って入学したのですが、この時は具体的にどういうエンジニアになりたいのかは定まっていなかったですね。ただ、プログラミングをすることは楽しかったのでそういうことを仕事にできれば良いなと思っていました。

そんな状況で研究室に配属となるのですが、配属されたデータベースの研究室では位置情報を使ったシステムやサービスの研究をしていました。

その時に始めて、利用者にとって利便性のあるものを作ることにやりがいを感じ、好きなこととやりがいがマッチするようなことを仕事にしたいと思い、就職活動をしました。

就職活動では、自社サービスやSIerなど様々な企業を見ましたが、幅広くサービスに携わりたいという想いから、Web系のSIerに就職をしました。

Webアプリケーションを中心に受託開発をしていました。在籍中は様々な業界のサービスに携わることができ、その中には多くのユーザーに利用されるようなサービスもあり、やりがいを持ちつつ多くの経験を積む事ができました。

業務外でもプライベートで色々開発したりブログを書いていたりしていたのですが、そのアウトプットを見たエージェントの方からの紹介がきっかけです。このタイミングで、次のステップとしてサービスへの関わり方や技術への向き合い方を変えようと思い、前職の事業会社に転職することにしました。

そうですね。初めの2年半ぐらいは正社員向けの転職サービスを開発・運用し、残りは医療系の新規事業の立ち上げを経験しました。ただ、新規事業の立ち上げ時には、開発業務に留まらずプロダクトを成長させるために色々なことをやっていました。

やはり、新規事業の立ち上げからほぼクローズまで経験したことが一番印象に残っています。それまでは、良いチームを作ることが良いサービスにつながる。そのために様々な開発手法を状況に応じて使い分けることが大切だと思っています。しかし、0→1フェーズにおいては、兎にも角にもサービスを成立させることの重要性や、その上での良いチームの在り方などを強く意識するようになりました。この経験が自分にとって非常に大きな影響を与えました。

前職でサービスの0→1を経験したことで、組織としての0→1フェーズにも興味を持った思ったことがきっかけです。何社か面談する中で、組織としてのフェーズ以外に、利用者の行動変容につながるサービスだったり、多くのユーザーをターゲットにしたサービスを提供している会社に興味を持ちました。

そして同時に、マイベストは自分が希望する条件を全て満たしていた数少ないスタートアップだと感じました。また、代表の吉川の選択課題に対する視座の高さや考え方も意思決定に際して大きな後押しになりました。

マイベストのようなフェーズの会社に対する情報やツテがなかったので、元同僚や知り合いなどに聞いて情報を集めました。その中で、前職で一緒に働いていた人事の方がフリーランスになっていたので最終的にはその方からマイベストを紹介してもらいました。

株式会社マイベスト 入社

マイベストはひとりエンジニアとして入社しましたが、サービス自体は既に存在しており一定数のユーザーも利用している状態からのスタートでした。副業の方を中心に開発されていたこともあり、サービスの安定化が急務であったためまずはそこから取り組みました。

具体的にやったことは、毎週末ピーク時にダウンするサービスの負荷を解消したり、テストライブラリすら導入されていない状態だったのでテスト周りを整備したり、Ruby・Railsのようなソフトウェアのバージョンが古かったのでメジャーバージョンのアップデート対応をしたりです。サービスの安定稼働を推進しつつ、PMFしているとは言い難い当時のサービスを早期にPMFさせるために並行してPoCなどを実施していました。

当時はフルタイムで稼働している人が自分しかおらず、副業の方もスポットでの対応だったのでサービス開発の攻めと守りのバランスを取るのが大変でした。

そんな中でも、定期的な技術投資や負債解消、開発ドキュメントの整備は1人でも意識して取り組んでいたのですが、その時の行動は20名を超える開発組織になった今でも文化として残っているので、当時サボらずに地道に頑張り続けてきて良かったなと思います。

期待値コントロールと業務分担は意識していました。具体的に業務委託の方と正社員の方でどのような業務を担当するか言語化したうえで採用などをしていたため、コミュニケーションで困ったことはなかったと思います。

副業の方などは、業務へのコミットにバラツキがあるため進捗管理など難しい部分もありましたが、そこはタスクの渡し方や進め方を工夫することで業務がボトルネックにならないようにしていました。

開発組織は現時点の体制に最適化されているわけではなく、次のプロダクトや組織フェーズを見据えて作っており、それ故にまだ不足している点や未成熟な点が多くあります。もちろん周りにも頼りますが、そういった部分は自分でも補いながらCTOとしての業務も兼任しているのが現状です。

今だと、あるチームのエンジニアリングマネージャーをやりつつ、データ分析基盤の運用や採用や、こぼれたタスクの対応や調整などをしています。これがだいたい6〜7割ぐらいの時間を使っていて、残りの時間で組織および技術のマネジメントを行っています。

そうですね。一番の魅力は、ユーザーの選択にとって必要な情報を自社で作る事ができることです。ユーザーにとって、インターネットで情報を探す行為は年々難しくなってきていると思います。

なぜなら、情報を取得するためのチャネルが増え、情報の提供形式も文字、画像、音声、動画など多様になる、いわゆる情報爆発的な状況が生まれており、さらに、AIの登場やサクラレビューのような虚偽情報の存在も加わり、以前より情報の提供元がわかりにくくなったり、情報の正確性や信頼性を知る手段が限られたりしているからです。このような状況だと、情報を選択する側は、以前よりも情報の取捨選択に高いリテラシーが求められると思っています。こんな状況に対して、マイベストは先程お伝えした通り自社で1次情報を作成・更新し、ユーザーに合わせて適切に情報を共有する術を持っています。

現時点ではメディア的な側面が強いサービスですが、データ構造はメディアに特化せず汎用的に利用できるように設計しており、今後様々なユースケースに合わせた情報を提供していく事ができます。

現在のエンジニア組織について

現在、正社員が20名で業務委託が10名程度、加えて副業の方が若干名います。開発組織はプロダクト開発部という部署にエンジニアが所属している形になっていますが、開発体制としては事業課題別にミッションという形式でチームが構成されています。

今だと、ユーザー体験を担当するミッションと、データやオペレーションをサポートするミッションの2つがあり、その中に目的別に分かれたチームがあります。

横断的な技術課題に関しては、イネーブリングミッションというチームがあり、そこがフロントエンドやバックエンド・SREなどの専門領域別に開発生産性の向上や技術的負債の解消を計画的に推進する担当をしています。

組織・サービス共に堅実であること、事業と技術の両方に目を向けて開発することができる組織であることが良い点だと思います。

派手さはないけど良い組織・サービスを作るために言語化しドキュメンテーションを行い、ナレッジを組織内に蓄積していく文化があり、これにより、組織としての成長が持続可能なものになっています。

一方で、人員増に伴うチーム間の情報流動性の低下はこれからの課題となると思っています。

開発組織はチーム単位での自律性を高め、課題に対して主体的に向き合うような組織を目指していますが、実際にはマイベストというワンプロダクトを複数チームで扱っているため、他のチームの活動内容を同期しなくてはならない場面も決して少なくありません。

なので、この課題は継続的に改善していかないと、人数が増えても生産性が上がらないという問題が生じる可能性があります。

そうですね。採用に関しては、闇雲に人を増やすのではなく、現在のメンバーの効率を上げつつ、組織・事業課題に対するレバレッジを効かせるという方針のもと、必要な人材を採用しています。

例えばEMの採用もその一つです。

現時点だと、事業やチームに興味を持ち、目的を達成するためにそれらの情報の流動性を高めるハブとなり、適切に情報を最適化してくような方だとマッチすると思います。

今後の目標

メディアとしてのマイベストは徐々に認知が取れつつありますが、それ以外の選択体験に関してはまだこれといった形をつくることができていません。

なので、これからは新たな選択体験を定義し、それを成立させることがプロダクトとして最も優先すべきことだと思っています。

そのためには、開発組織として課題に注力する開発体制づくりや、専門的な課題に対して適切な人材のアサイン、計画的な負債解消の仕組みを整えることが必要だと思っており、そのあたりの解決を中期的な目標として進めています。

『3:インベンター』と『7:デリバラー』が大事だと思います。先ほどお話ししたとおり2度目のPMF実現のために新しいことに非連続でチャレンジしていく必要があるためです。プロダクトとしての10→100フェーズと0→1フェーズが混在している状況なので、完全に合わないタイプはなさそうです。ただし、『1:サイエンティスト』のような方は活躍範囲が限定的になるかもしれません。要は、手を動かした結果として成果が出るというよりは、もっとトライする姿勢が重要であり、そのような方が成果を出しやすいということです。また、「4:ガーディアン」に関しても少し違うかもしれません。

具体的に指示を出すというよりは、組織としてアジリティと自立性が高い組織を作りたいと思っています。イシューベースでコミュニケーションを取るなど、柔軟な対応が求められるため、完全に指示通りに動く方は少し違うかもしれません。そのため、「1と4」の方は活躍の場が限られるかもしれません。

自分の長所を理解している人と働けたらいいなと思っています。現在のマイベストは、技術・事業共に様々な課題があり、色んな方にご活躍いただけるようなフェーズです。なので、課題に対して自分の持ち味を発揮していただき組織やサービスを次のフェーズに進めていただけるような方と一緒に働きたいです。